去る人
3月31日。
今年も、職場を数人が離れた。
定年で退職の人、転職する人、去り方もそれぞれだ。
なかには、辞めたくないのに辞めざるをえなかったような人もいる。
他人事ではない。
私だっていつまで仕事があるかわからない。
ハシモト改革の嵐は止まらない。
そんななか、明後日から東京出張だ。
東京も花冷えだろうな。
花冷え・・・きれいな言葉だけど、身にしみる。
3月31日。
今年も、職場を数人が離れた。
定年で退職の人、転職する人、去り方もそれぞれだ。
なかには、辞めたくないのに辞めざるをえなかったような人もいる。
他人事ではない。
私だっていつまで仕事があるかわからない。
ハシモト改革の嵐は止まらない。
そんななか、明後日から東京出張だ。
東京も花冷えだろうな。
花冷え・・・きれいな言葉だけど、身にしみる。
明日は、トラブル処理に出かけなければならない。
最近は、行き違いからトラブル続きで、血圧が上がりそうだ。
上司と一緒に、まずは相手の話を聞くために出かける。
相手の思っていることを、怒りを、話してもらおう。
明日は言い訳をしない、と心に決めている。
カサカサ、耳の奥で不気味な音がする。
首を振ると、ガサガサと、脳天にまで音が伝わる。
忍び寄っていた病魔が、爆発する寸前なのか?
脳みそをかじろうとする虫が潜んでいるのか?
仕事をキャンセルして、近くの耳鼻科へ飛び込んだ。
医者は手慣れたように、耳にピンセットのようなものを入れた。
そして「原因は、この毛ですよ」と、いとも簡単に告げた。
ピンセットに挟まれた、灰色と薄茶色がまじった、2センチくらいの長さのふんわりとした毛が一本。
これがガサガサの原因なのか!
犯人は一人だけ。
まさか、ルルの仕業だったとは・・・。
文書が回ってきた。
これからは「障害」ではなく「障がい」を使用するように、と書かれている。
これを見て、よけいなお世話だと思った。
これこそまさに言葉狩りではないの。
そんなことをわざわざ上から言われなくても、自らのポリシーで何年も前から「障がい」と使っている人はいる。
私が数年前、ある公務員に「『障害』でなく『障がい』使っているところもあるけど、おたくは?」と聞いたとき、「うちは、『障がい』を使うなんて考えたこともない」と、言っていたのに、手のひらを返したような変わり身である。そして、それを私の職場にも倣うように言ってきている。
私はいろいろ考えた結果、今のところは「障害」を使っている。
「障がい」と書くと、文字面だけ障害者の理解者のようで気恥ずかしい。かえって障害者を区別しているような気もする。
本当に障害者を理解している人が、思いをこめて「障がい」と書くときは深い意味があるだろう。でも、役人が「障がい」というのは、文字をすり替えただけですませようという薄っぺらさだけが目立つ。障害者を取り巻く状況の根本的な解決にはならない。
明日提出の原稿を抱えたまま、なかなか筆が進みません。それとも、タイピングが進みません、というべきでしょうか。
いつものような怠け心だけではないようです。なにかほかの病気かもしれません。何も手がつかず、他人から見たらまるで怠け者のように見える、深刻な病気があるそうですから、ひょっとしてそれか、と疑っているところです。
でも、その病気だったら、わざわざブログを書き込まないでしょうね。
ある本を読んでいたら、文章を書く場合、「誰に対して書くのか」を明確にしなければならない、と書かれていました。あぁ、そうなんだ! と思わず膝を打ちました。こんなところに落とし穴があったとは!
文章はやみくもに書くべきではないのです。
不特定多数に向かって書けるわけなどないのです。
書いたとしても、中身のない空疎な抜け殻のような文章になってしまうでしょう。だいたい、万人に受け入れられる文章など、あり得ないのです。
ということで、目標はあなた! 今から、あなた、そう、アナタに向かって書きますよ。
先日、在阪テレビ局で、ある情報番組の生放送を見学しました。
コメンテーターとして出演していた女優さんの細いこと! かわいいこと!
いつも、テレビで「ブタ!」とか「デブ!」とか呼ばれ、それがギャグになっていた女優さんです。
最盛期?よりも最近は痩せられたそうですが、でも、細~い!
その女優さんは、未知やすえさん。吉本新喜劇の看板女優です。(関東の方はしらないでしょうね)
とにかく、細くて、豚の面影はまるでないのです。
テレビでは実際より肥って映るとは聞いていましたが、こんなに差があるとは・・・。
番組の内容よりも、この落差にショックを受けました。
そういえば、買い物をしている漫才師の「今いくよ」さんを見かけたことがありますが、こちらもテレビよりも細く、フツウでした。
言葉の力はやっぱり大きい。
理路整然と自説を主張する人を見ると、圧倒されて、見とれてしまう。とても私にはできないと思う。尊敬の念さえ抱いてしまう。
いわゆる「弁の立つ人」の話は、その根拠となるものが、何重にもめぐらされている。一つや二つ、疑問を呈してもびくともしないほど、強固な何かがある。その人の思いが、信念まで高められているようだ。
私は自分をじれったく思いながら、言葉を探しているのだけど、適切な言葉が見つからないまま、その人の前では、結局黙りこくってしまう。
「どうしょう、この予算も削られるかもしれない」
上司が紙切れを見せながら、血相を変えて言う。
ハシモト改革の波を、まともの受けそうなわたしの職場。大波に襲われた船は、このままでは転覆するのが目に見えている。大波に向かって小船を漕ぎ出すのは、もっと無謀かもしれない。でも、何もしないで後悔するより、必死で抵抗するのが、生きているってことだろう。
そう考えると、なんだか力が湧いてきた。笑顔さえ浮かべていたのかもしれない。
「あなたはこんな状況でも、冷静だね」
そう言われ、返した言葉がこれ。
「これから、面白くなるかもしれない」
強がりを言ってみたものの、私だって不安だ。でも、いい年して、おろおろしたって、始まらないやないの。
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